rincoror.in 共働き兼業主夫の戯れ言

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「子育て」とか言いつつ、私が娘に育てられている。

2014.07

29

マイノリティー・ライフ, 子育て / 兼業主夫雑記

1歳の誕生日を迎えた翌月の4月から、娘は保育園に通うことになった。妻の職場復帰と入れ替わりで私が育休を取っていたことと、育休が明けてからも、当時私は昼からの勤務で、平日が休みになることが多かったこともあり、朝の保育園送りや、病気や予防接種のために病院に連れて行ったりするのは、もっぱら、私の役割となった。

ところで、私は吃音である。いわゆる普通の人と比べ、言葉(発話)が自由でなく、苦労もしてきた。それでも、工夫や経験を重ね、たくさんの人と関わる中で、曲がりなりにも、それなりに話せるようになっていた。吃音が「治った」わけでは決してないのだが、仕事もそれなりにこなせ、「話すのが苦手」とは言いつつ、パソコンのセンセーとして教室の前に立ったりもしてきた。

しかし、それでもなお逃げ続けていることがあった。それは、電話。電話だけは、どうしても苦手、というか恐怖だった。たとえ大勢の人の前でそこそこ話せるようになっていても、受話器越しでは極端にこわばる。どうにもこうにも言葉が出てこず、ひどい難発状態に陥る。だから仕事のうえでも、電話だけは避けられるかぎり避けてきた。仕事の性質上、必ず私が出なければならない電話、メールではなく必ず電話でなければならない連絡というのは、そう多くはなく、甘えてきた。

そうこうして過ごしていたところ、もう人に頼ってばかりはいられない状況に、私は身を置くこととなってしまった。それが、子育て。病院に予約の電話を入れたり、保育園に遅刻や欠席の連絡を入れたり、こればかりは誰かに代わってもらうわけにもいかない。私はもう、電話から逃げることができなくなってしまった。

少しでも電話に慣れようと、毎週一回の生協(コープ)の注文を、ネットではなく、あえて電話でするようにした。毎回、自分の名前を言うのにも時間がかかった。続いて、一週間分の食材の商品番号を言っていくのだが、ひどい時には、ほとんど乾いている雑巾から水を絞り出すようにしてしゃべった。注文を終えた頃にはヘトヘトになり、軽く横隔膜を傷めることもあった。それでも何週間か頑張ってみたが、苦手意識は一向に拭えないままでいた。

娘が保育園に通い始めてしばらく経った頃、娘の鼻水が何日経っても治まらず、登園の前に耳鼻科に連れて行くことを余儀なくされた。保育園に遅刻の連絡を入れなければならなかったが、どうしても電話をすることが億劫だった私は、多少の不自然さに目をつむって一度娘を連れて保育園に出向き、これから耳鼻科に連れて行く旨を、先生に直接伝えた。「わざわざ来てもらわなくても、電話一本くださればよかったのに。真面目ですねえ」と先生は笑ってらしたが、苦い気持ちが込み上げた。

体調が万全でない娘のことを考えれば、余計な寄り道をすることは好ましいことではない。娘のことよりも、まず自分の(端から見ればくだらない)都合を考えてしまったことを恥じた。それに、今回は強引に電話をせずに済ませたが、この先もずっとこんなごまかしを繰り返すわけにはいかず、問題を先送りにしただけであるという焦りも感じた。

そして後日、とうとう娘が本格的に体調を崩した。保育園を休ませるために、さすがに電話を入れないわけにはいかなくなった。心臓が高鳴り、胃がキュッと痛み、脂汗が出た。私は、保育園の連絡帳に書かれてある電話番号をじっと睨みつけては、「ああ無理!」と頭を抱え、半時間近くもの間、そんなことを繰り返した。挙げ句、連絡帳を床に叩きつけ、いい歳をして、泣いた。

情けなかった。とんでもない阿呆である。これがもしも仕事の電話であれば、まだ割り切れるが、娘の面倒を毎日見てもらっている先生たちに、この子の親はなんか変、頼りないと思われたくないという気持ちもあり、保育園への電話では、あまり不様な話し方をしたくなかった。だからといって、いつまでも逃げ続けていいわけもなく、こんなことでこの先、親が務まるのかという不安、自分のような軟弱者が人の親になどなってよかったのかという罪悪感、娘のことよりも自分がどもりたくない気持ちがいつも先行してしまうことへの自己嫌悪に、打ちひしがれた。

しばらく間をおいて冷静になり、先延ばしにしても仕方がないと腹を括り、電話をかけた。案の定、初っ端から激しくどもり、名前以前にクラス名が言えずにアワアワとしていたところ、受話器の向こうの先生の方から、「あ、○○ちゃんのパパですか? おはようございます。どうされました?」 と、柔和で明るい調子で話を促してくれた。その感じの良さに安堵して、あとは案外スラスラと話すことができた。

通話にかかった時間はわずか数十秒。終わってしまえば、何のことはない、たったそれだけのこと。あっけないものである。私の電話での話し方がたまたま不様だったからといって、先生たちの、私や娘への対応が変わるわけでもなく、相変わらず好意的だ。たかだか束の間の電話のために、あれだけうなだれていた自分が、心底馬鹿らしく思えた。それからも、しばしば保育園に電話をかける機会はあるわけだが、初回のときのように、過剰に恐れることはなくなった。

自分が親になったことを、しみじみと思う。小学生の時も中学生の時も、高校生の時もそれ以降も、私はずっと生きにくかった。大多数の人が経験しない特有の息苦しさにいつも悶え、もう生きていけないと絶望したこともあった。結婚して子どもを育てることなど考えられず、自分が生きていくだけで精一杯だった。万が一、将来子どもをもつことがあったとしたら、その時にはきっと、何らかの幸運に恵まれて、随分と安泰な人生を送っているのだろうと思っていた。でも実際は、人の親になった今でも、人がたやすくこなしていることでいちいち躓き、人生は相も変わらず綱渡り的である。

それでも、なんというか、昔とは決定的に違うことがある。何が起こっても、結局は何とかしていけるし、自分の力ではどうにもならないときには人は助けてくれるという、自分への、他者への信頼である。人は、思っていたよりも恐ろしい存在ではないらしい。

「子育て」とか言いつつ、私が娘に育てられている。