rincoror.in 共働き兼業主夫の戯れ言

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「男子」落第生だった私には「男のプライド」がわからない

2014.09

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子育て / 兼業主夫雑記

世の中には、「男のプライド」と葛藤しながら家事育児をする男性というのがいるらしい。核家族、共働きが全然珍しいことではなくなっている世の中にあって、男である自分も家事育児をするべきだと頭ではわかり、現に実行してもいるものの、前時代から植え付けられた「家事育児は女がするもの」という拭い切れない価値観に、「男のプライド」が傷つくらしい。

べつに、「男のプライド」と葛藤していようとなかろうと、現実に家事育児をやっているかぎり、他人がとやかく言うことはないし、私もそれを悪く言うつもりは全然ないのだが、私にはそういう葛藤が、全然わからないのだ。それどころか、私は外に出てバリバリ仕事をしている時よりも(仕事は仕事で楽しかったりもするのだが)、エプロンを着けてキッチンに立っている時の方が、洗濯物を干している時の方が、掃除機をかけている時の方が、地に足が着いている感じがするし、子どもの世話にあくせくとしている時の方が、しっくりくる(しんどいのだが)。

私の父は、いわゆる典型的な「昭和の男」のだった。自分の靴下がどこにしまわれてあるのかも知らなかったし、知る必要もなかった。「おい、ビール」「おい、メシ」とかとのたまい座ってさえいれば、家での生活は事足りたし、「お父さんはな、お金を稼いできているのだから、この家で一番偉いんや」と明言していた。父の中で、「男」とはそういうものだった。

高校時代はラグビー部。「男たるもの」と飽くこともなく誇らしげに、あるいは威嚇的に繰り返す父に反して、私は軟弱で「女々しい」子どもだった。ボール一つまともに投げることができず、受ける時には屁っぴり腰で顔を背ける私を、いつも父は、「男のくせに」と鼻で笑った。幼稚園でクラスメイトの女の子に、私が鞄に付けていた鈴を、「くれないんだったら絶交よ」と脅され取り上げられた時も、小学三年生の時、クラス有数の優等生だった女子から人知れず虐められていることを、担任の先生に訴えてほしいと頼んだ時も、「男のくせに、お前は女に負けているのか!」と罵られた。

近所の男の子たちに、キャッチボールや草野球に誘われることが億劫で仕方なく、家の中で一人で遊んだり、近所に住む従姉妹たちとママゴトをしている方が楽しかった。

体育の授業は苦痛以外の何物でもなかった。ドッヂボールなどは、私にとって拷問でしかなく、苦虫を噛むような気持ちで女子たちに混じって、はなから「外野」を希望した。「男のくせに」という嘲笑も堪え難かったが、それ以上に、自分を目掛けて飛んでくるボールが恐ろしかった。

中学生、高校生になっても、「男子」が好むものを、私はことごとく受け入れられなかった。あらゆるスポーツ観戦にまったく興味がなく、話題に着いて行けなかったし、学校帰りにゲームセンターで格闘もののゲームに夢中になる同級生たちを見て、一体それの何が面白いのが皆目理解できず、軽蔑とも寂しさともつかない気持ちを抱えて一人早く家に帰り、ピアノの練習に夢中になった。

大学生になれば、男子はみんな車の話題で盛り上がったが、私には全然興味が湧かなかった(今でも免許すら持っていない)。「車がなくてどうやって女を口説くんだよ」「お前、モテないぞ?」と笑う人もいたが、男なら誰でもモテたいとでも思っているのだろうかと、溜め息しか出なかった。

二十歳を過ぎても、相変わらず私は「男」連中の中で居心地が悪かった。どんな女性が好みかという話題になれば、みんなこぞって、「気の利く子」「うまい肉じゃがを作って待っていてくれる子」などと「理想の彼女」をあげつらったが、私はそういった紋切り型の「彼女」にさらさら興味がなかった。むしろ私は、飲み会の席で進んでみんなに料理を取り分けるような人よりも、その傍で何もせずに毅然と座っていられるような女性の方が好感がもてた。

デートといえば、男が「引っ張って行く」ものであり(最近はそうでもないのかな?)、男たちは自分がいかに「男らしい」かを闇に競っているように見えたが、私ははなからその土俵に上がりたくもなかったし、実際、私などと付き合おうという物好きな女性は決まって、率先して自分が行きたいところに私を連れて行ったし、私自身、可愛い雑貨屋さんやカフェ、レディースのアパレルショップに行くのが好きだったので、それで何の問題もなかった。

今でも、「男というものは」と巷でよく言われる一般論に、私はことごとく共感しかねる。女性が共感を求めて悩みや愚痴を話したら、相手の男に解決策やアドバイスを言われてガッカリしたというのは、男と女の性質を示す典型例としてよくいわれるが、私も、たんに共感してほしくて妻に愚痴をこぼしたら、淡々と解決策を提案されてスカを食らうことが、よくある。

こう書き出せばキリがないが、ともかく私は、幼少の頃より「男」としての適性をことごとく欠いており、「男」の中にあって、ずっとずっと生きにくい思いをしてきた(私が好きで仲良くしている男性は、決まって「男」の臭いのしない人ばかりだ)。「男」とか「女」とか、そんな舞台から、ずっと降りたいと願ってきた。そして今、嫌でも家事育児をせねばならない境遇にあって、「男のブライド」が傷つくどころか、ようやく身の丈に合った、居心地のいい立ち位置を与えられている気がする(これはこれで大変なのだが)。そんな私にしてみれば、「男のプライド」なんて、屁の突っ張りにもならないものに思えて仕方がないのだが、そう簡単に捨てられるものでもないのだろうか。