rincoror.in 共働き兼業主夫の戯れ言

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ベビーカーは誰のためのものか。楽でも便利でもなく、私にとっても邪魔。

2014.10

11

子育て / 兼業主夫雑記

「日本男子は、なぜベビーカー女子を助けないのか」

別段、この炎上記事に煽られて書くというわけではないのだけど、ベビーカーは親のための便利な道具に過ぎず、ベビーカー使用は親の怠慢との主張については、同じように考えている子育て未経験の人が多かれ少なかれいるのかなと思い、解ける誤解は解いておきたいというか、ちゃんと知っておいてもらいたいとのことから、ベビーカー使用の実際について、僭越ながら私ごときの経験などでも書き残しておきたいと思った。

ベビーカーは親のために開発された「便利な道具」に過ぎませんよね。(中略)当のベビーたちもあの「車」に乗りたいのでしょうか。(中略)ベビーカーで得をしているのは親たちだけでしょう。(中略)楽に決まっています。

家族の形態や暮らしている地域、その他諸々の条件によって、それぞれ事情は異なるわけだし、感じ方も人それぞれだから、私の経験を簡単に一般化するつもりはないのだけど、こと私に関していえば、ベビーカーというのはじつは便利どころか、なるべくなら使いたくない厄介な代物だ。全然楽じゃないし、邪魔だと思うことが多い。

実際に私は、まだ娘が2歳に満たない頃、小一時間出掛ける程度なら、ベビーカーは使わずにエルゴ(抱っこ紐)で娘を抱えて出掛けた。

ベビーカーで出掛けると、ガタガタとした道ではいちいち引っ掛かって苛々するし、グレーチング(「グレーチング」っていうんですね。今調べて初めて知りました)や踏切の線路に車輪がはまっては、いちいち歩行を一旦ストップして、グニグニとあれこれ工夫しながら乗り越えねばならない。線路上でグニグニするのに手こずっている間に踏切が鳴り出そうものなら、子どもと荷物と合わせて20kg近くあろうベビーカーを「ぬん!」と抱え上げ、大急ぎで退散せねばならない。私の腰も悲鳴をあげる。

ガタガタ道でも比較的スムーズに押せたり、簡単に車輪が溝にはまらないような、車輪も大きく全体的にガッチリとしたタイプのベビーカーもあるが、サイズが大きいので、それこそ、そんなベビーカーで電車に乗り込む勇気はなく、それに重くて持ち運びも大変であるため、うちは比較的軽量小型のベビーカーを選んでいたのだ。

また、ベビーカー連れでは階段やエスカレーターが使えずに、いちいちエレベーターに乗ることになり、大きな駅などではなかなか目的のエレベーターを見つけられずに苦労する。それに、ベビーカーさえなければ、歩道橋を使って簡単に渡れるものを、すぐ目の前に見えている向かいの歩道まで行くのに大変な大回りをしなければならなかったりと、時間も労力も無駄にかかってうんざりすることが、多々ある。エルゴの方がスタスタと滞りなく歩けて楽だわと思うことが、本当に多かった。

そんな具合だから、私は可能であればエルゴで出掛けることを好んだ。でも、状況がそれを許さないことも多かった。

何時間も外出する場合、私自身が娘をエルゴで抱え続けるのに耐えられたとしても、娘の方が耐えられない。エルゴで抱え込まれることによって体重のかかる脚の付け根の部分が痛くなってくるのだろうし、ずっと同じ体勢でいることがつらくなってくるのだろう。エルゴで抱き続けて1時間を過ぎれば、娘は大抵愚図り出した。(いやこの場合「愚図る」というのは正しくない。正当な主張だと思う。)

エルゴでは娘と私の体は密着しっぱなしであり、真夏などはひどく汗ばんで蒸れる。私は耐えられても、娘は耐えられずに大声で泣き出す(無理のない話だ)。それこそ、まわりの人に迷惑をかけかねない。だから、長時間出掛けるときには、エルゴとベビーカーの両方を持って出た。

娘も徐々に拙いながら言葉で意思を伝えられるようになると、エルゴよりもベビーカーに乗りたいと言って聞かなくなった時期もあった。その時々で、エルゴで抱かれるかベビーカーに乗るか、必ずしも私たち親の期待に応えてくれるわけではない。電車の中ではなるべくベビーカーは畳み、エルゴで抱かせてくれるよう娘に頼んではみるが、どうにも泣き叫び続けて、しぶしぶベビーカーを広げて座らせることもあった。ずっとエルゴというわけにはいかず、ずっとベビーカーというわけにもいかず、娘の気分や疲れ具合、その時の気候などに臨機応変に応じられるよう、エルゴとベビーカーの両方が用意されている必要があった。

冬のある日、大雪が降り積もった。普段私は、自転車で娘を保育園に送っていたが(車は持っていない)、この日は自転車に乗るわけにはいかなかった。雨のときであれば、エルゴで娘を抱えて電車に乗ったが、娘を抱えたまま雪道で滑って転倒したら危ないと思い、電話でタクシーを呼ぼうとしたが、タクシーもすべて出払っていて捕まらず、通勤ラッシュの中、やむをえずベビーカーで電車に乗ることにした。

混雑している電車内では子どもを抱きかかえてベビーカーを畳むべきという意見もあるが、このとき私の片腕には娘の保育園グッズと傘、もう片方の腕には私自身の荷物(保育園に送った足で仕事に行くつもりだったので、ノートパソコン、数冊の分厚い技術書、その他諸々)、加えてその日は月曜日だったので、娘の午睡用の布団セットも抱えていた。ベビーカーを畳んで娘を抱きかかえることなんて、どう頑張っても不可能だった。

やや小柄な娘でも、2歳を迎えようとする頃にもなれば、もうエルゴは使えない。自分で歩いてもらうか、ベビーカーに乗ってもらうかになる。一応歩けるといっても、2歳の体力では、終始大人に付き合って歩き続けられるわけではない。この月齢の体重ともなれば、親が抱っこし続けるのにも無理がある。娘が疲れて歩けなくなったときのために、ベビーカーはやはり欠かせなかった。

今は娘は3歳半を過ぎた。3歳にもなればベビーカーなんて必要ないのでは? 親の横着では? という意見も聞くが、やっぱりまだ完全に手放すわけにもいかない。3歳の娘は、まだまだ、かなり危なっかしい歩き方をする。まっすぐ歩かずにチョロチョロと蛇行するし、手をつないでいても、ほとんど前を向いておらず、人が向かって来ていても気付いていないことが多い。自転車がビュンビュンと行き交うところなどでは危険過ぎるので、疲れていなくともベビーカーに乗ってもらう必要がある。

それに、この歳ではまだまだ昼寝が必須である。昼を過ぎてある程度の時間になると、眠くてどうしようもなくなるのだが、それが必ず決まった時簡ピッタリにくるわけでもない。眠っている13kgの娘を抱っこし続けることは不可能であり、電車に乗るのと昼寝のタイミングが被ってしまえば、電車内でベビーカーを広げて寝てもらうほか、どうしようもない。それでも、3歳にもなった娘をベビーカーで運ぶというのは、1歳や2歳のときどころでなく、不便だし、面倒臭いし、しんどい。

そういうわけで、今でもベビーカーは私が楽をするための道具なんかでは全然なく、本当なら使いたくないが、必要に迫られて使っているものである。

こんなことを言いつつも、自分に子どもができたりしたら便利なベビーカーを使うようになるかもしれません。ただし、キャリーバッグを引くとき以上に注意するし、周りにも配慮しますよ。混雑した場所や時間帯などはできる限り避けます。

……現状のベビーカーを使う人たちはまるで配慮に欠けるかのような言い草だけど、私の肌感覚としては、ほとんどのベビーカー利用者は、最大限の配慮をしているように見える。あなただけでなく、きっとほとんどのベビーカー利用者が、混雑した場所や時間帯などはできる限り避けたいと思っているよと言いたい。誰が好き好んで、最悪我が子に危険がおよぶかもしれないのに、わざわざ混雑した場所や時間帯を選ぶだろう。混雑した場所や時間帯にベビーカーを押していたとすれば、きっと、それ相応のやむをえない事情があるのだろうと考えるのが、私の経験からすれば自然だ。

ベビーカーで電車に乗り込むお母さんが、全然申し訳なさそうな様子でなくニコニコしているのが癪に触るというような意見も、しばしば見る。混雑して険悪で張り詰めた雰囲気の電車内で、ベビーカーに乗る、まだ赤ちゃんであった娘に、にこやかに話しかけたりする私を、よく思わない人もいたかもしれない。でも、弁解させてもらうと、張り詰めた空気だからこそ、私は娘に意識して和やかに接する必要があった。赤ちゃんはその場の雰囲気やそのときの親の心情を驚くほど感じ取るもので、親が険悪な空気に呑まれて動揺していては、それを察して娘が泣き出してしまうのだ。「人に迷惑をかけておきながら、ヘラヘラしている」と映ったかもしれないが、それは決して無神経であったわけではなく、私なりのまわりへの配慮だった。

こういった、やってみなければわからないこと、伝わりにくいことって、たくさんあるのだと思う。伝えていけることは、伝えていくしかないのだろうなと思う。