rincoror.in 共働き兼業主夫の戯れ言

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閉塞した育児生活に風穴を開ける趣味は案外近くに転がってたのかも

2014.10

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子育て / 兼業主夫雑記

最近、初めてのカメラを買った。写真の知識はなく、まったくのド素人ながら、撮るのは前々から好きで、iPhoneでよく撮っていたのだが、iPhoneのカメラの表現力には限界があるので、いつかちゃんとしたカメラが欲しいと思っていた。でも、まあ子どもがもうちょっと大きくなってからーー少なくとも小学校にあがってからだなと考えていた。というのも、カメラを買ってしまったら、撮りたいに決まっているし、でも現状の子育て生活の渦中にあっては、好きな時に好きなところに出掛けて好きなだけ撮れるわけもなく、かえってフラストレーションに陥るだけだと考えていたからだ。

思えば、子育てが始まったことによって、膨大なことを諦めた。私はもともと、見る人が見れば呆れるほどに、独りの世界に閉じこもって自分の趣味にうつつをぬかしていることだけが生きがいであるようなならず者だった。音楽が好きで、独身の頃は、毎日6時間はピアノを練習していたし、かなりの時間を読書にあて、少なくとも2、3日に1冊ほどのペースで読んでいた。

私の場合、諸事情あって、結婚というのが、思いも寄らない唐突な出来事だった。さらに、それから1年もしないうちに子どもを授かるなんて、夢にも思っていなかった。来る日に向かって、徐々に気持ちの整理をつけていくという過程もなく、なにもかもが、本当に急展開だった。

そういう私が、結婚、さらに子育ての開始にともなって、楽器の練習や読書が全然思うようにできない生活を受け入れるというのは、並大抵のことではなかった。まだ子どもが生まれて間もない頃は、家事育児のわずかな隙間を狙っては、今だとばかりにピアノの蓋を開けた。しかし、軽く手慣らししたところで、娘がウンチをする。汚れたオムツを始末し、さて気を取り直してと弾き始めるやいなや、再び娘がワーワーと言い出し、放っておくわけにはいかなくなる。そうこうしている間に、あっけなくタイムオーバー。そんなことの繰り返しで、まったく音楽に浸るどころでもなければ、新しいレパートリーを開拓するどころでもない。

ピアノを弾きたいという欲求をもっているかぎり、私は甚大なフラストレーションを抱え続けることになる。いっそ、子どもがある程度大きくなるまでは一切弾かないと、スパンと諦めてしまった方が、楽になれるのではないかと思うに至った。でも、そういう生活に慣れるまでには、なかなか長い月日を要した。

読書については、昔のように好きな時間に好きな場所で読めるというわけにはいかなくとも、通勤の電車の中で読むことはできた。とはいっても、毎日の絶え間ない家事育児で疲れ切っており、ものの数ページをめくったところで、激しい睡魔に襲われる。無理に眼を開けて文字を追っていても、内容が全然頭に入ってこない。読書はピアノのように完全に諦めてしまう必要はないものの、かつての自分とは比べ物にならないほどの、亀のようなペースとなってしまった。

私は音楽を、BGMとして聴くのはむしろ好きではなく、聴くならスピーカーに面と向かうなり、ヘッドホンを着けて、集中して聴きたいのだが、聴くのを毎度のごとく中断されて苛々するくらいなら、最初から聴かない方がマシだということで、音楽を聴くこともめっきりしなくなった。

ピアノの長期中断、読書の極度の制限、そのほかささやかな趣味や娯楽の諦め、旧友からの誘いの度重なる断念。こんなふうに言っては罰が当たるかもしれないが、育児というのは足枷、監獄。こういった喩えが、脳裏をよぎってはばからなかった。

そういった経緯があり、この怒濤の育児の最中、自分の趣味のためにカメラを買おうなんておこがましいことは、さらさら考えていなかった。たまたま通りかかった景色をちょっと撮ったり、子どもの成長を記録しておくには、iPhoneのカメラで十分綺麗に写る。そう自分に言い聞かせていた。

しかし、ひょんなことから、幾人かの人に、いずれカメラが欲しいと思っていることを話したところ、今買えばいいやん! といった反応ばかりが返ってきた。意外なことに(?)、妻からもそんな反応が。

そこで、少し考えた。ピアノや読書というものは、(少なくとも私にとっては)一人で没頭するものだ。小さな子どもの存在というのは、それらにとって不利にしか働かない。でも、写真を撮るというのは、必ずしもそうではないのではないか。やりようによっては、子どもと一緒に楽しむこともできるし、あるいは、子どもがいることでしか撮れない写真というのも、あるのではないか。こんなにも汲々としながら育児をするのは子どもにとってもいいはずがなく、写真をうまく楽しめれば、綿々と続く息の詰まるような育児生活に、いくばくかの風穴を開けることもできるかもしれない。

とりたてて今すぐ欲しいわけではなかったのだが、まあ買ってみるか、という気になった。そんなに高いものも気が引けたので、オリンパスのミラーレス一眼「PEN Lite」と、単焦点レンズを買った。買ってみると、とりあえず目の前の娘を撮ってみたくなる。そして、(当たり前だが)iPhoneでは絶対に撮れないものが撮れて、嬉しくなる。

これまでも、天候の悪くない休日には、家の中に長くいても息が詰まるので、娘を連れて適当なところへ出掛けていたが、なかば、仕方なしにだった。でも、カメラを持って出るとなると、ちょっとワクワクする。大急ぎでカメラの基礎知識(絞り、シャッタースピード、露出、ISO感度のことなど)を詰め込んだ。

とりあえず出先で、娘をバシャバシャと撮ってみた。もともと撮られることが好きな娘は満足そうだし、私としても、iPhoneでなかば記録的な意味合いで撮っていたときとは全然違うアングルが、なぜか自然にできてしまって、楽しい。

さらに、娘同行で、いろいろなものや風景を撮り歩く。ある程度カメラに親しんでいる人なら、ローアングルで撮るためにかがみ込むといったことを当たり前のようにやるが、ズブの素人である私には、人が行き交う中、一人でそれをやるのには、抵抗があった。まして手に持っているのがiPhoneでは。でもこれが、娘と一緒に撮り歩いていると、案外平気でできてしまう。娘を連れて歩いていると、ことあるごとに娘の背丈に合わせてかがむなんてことは、それこそ日常茶飯事だからだ。

それに、子ども連れで撮り歩いていると、一人で、あるいは大人だけで歩いていたならきっと気が付かなかった被写体とか、ものの「見え方」に出会う。大人と子どもとでは、見えている世界があきらかに違う。二人で商店街を歩いていて、いちいち立ち止まる娘に、これまではただただ苛々していただけだったのが、思いがけないものや、意外な角度からの「見え方」との出会いに変わったりする。

川辺を歩いていたある時、思いがけず白鷺がやって来て、すぐそばに止まった。そうしょっちゅう巡り合えるわけではないシャッターチャンスである。でも、その時は娘を連れていて、写真を撮るために娘から目を離してはちょっと危険な場所だったので、泣く泣く撮るのを諦めた。なんだか私の育児を象徴したような出来事だと思った。でも、そもそも娘がいなければその場所を通らなかったので、白鷺にも出会えていなかったわけだ。その時にはふと、なにも写真に収めるばかりが能ではない、なまの瞬間を楽しめばいいのだと、カメラに慣れてきて少々浮かれている気持ちを諌められたような気がした。

またある時、某女子大の校門が印象的だったので、撮ろうと立ち止まって構えた時、これがもし娘がおらずに私一人なら、不審者に思われたかもしれないと、ふと思った。そもそも、撮る勇気さえなかったかもしれない。男の場合、子連れであることで怪しまれずに済むといった場面が、案外ある。

子どもといることで撮れなかったり、子どもがいてくれたおかげで撮ることができたり。いずれにしても、きっとこの先も、私の撮り歩きには、少なからず子どもの存在が影響するのだと思う。子育てを通じてだからこそ撮れるもの、子育てを通じてでしか撮れないものって、どんなものだろう。子どもとの関わりの中で、模索していけたらと思う。